1999年度 世界のハンドボールプレーヤー:ラファエル・ギホーサ(スペイン) + アウスラ・フリドリカス(オーストリア) 女子 ‐ 世界のハンドボールプレーヤー アウスラ・フリドリカス 男子 ‐ 世界のハンドボールプレーヤー ラファエル・ギホーサ
ワールドハンドボールマガジン誌の読者は1999年世界のハンドボールプレーヤーにオーストリアのアウ スラ・フリドリカス(Ausra Fridrikas)とスペイン人のラファエル・ギホーサ(Rafael Guijosa)を 選び、この二人に続いたのはトリネ・ハルトヴィク(ノルウェー)とダニエル・シュテファン(ドイツ) だった。 このコンテストは、スポーツ用具会社アディダスの支援を受け再び大きな反響を呼んだ。50ヶ国からの 投票用紙がバーゼルのIHF本部へ届き、最終分析の結果、世界レベルのハンドボールを長年やり、ま たそれに応ずる結果も出してきた2人の経験豊かなアスリートが選ばれた。 ラファエル・ギホーサはバルセロナ出身の素早くきびきびしたウィングで、ほとんど常に勝利を収める 選手である。1999年世界選手権における彼の印象的なプレーと、チャンピオンリーグでの変わらぬプレ ーで彼は皆に愛されている。1999年のMVP、ネデイコ・ヤヴァノビッチ(ユーゴスラビア)はスウェ ーデンのシュテファン・ロヴグレンとマグヌス・ヴィスランデルを押さえたものの2位にとどまった。 女子の競争には激しいものがあった。オーストリアのダイナミックなパワーの選手、アウスラ・フリド リカスはスウェーデンのカミーラ・アンデルセンとセシリー・レガンガーを長い間かわすことが出来な かったが、今回ラファエルともども、初めての勝利を収めることができた。 <結果の詳細> 女 子 ポイント 男 子 ポイント 1. アウスラ・フリドリカス (AUT) 4106 ラファエル・ギホーサ (ESP) 5646 2. カミーラ・アンデルセン (DEN) 3393 ネデリコ・ヨヴァノヴィッチ (YUG) 3437 3. セシリー・ゲガンガー (NOR) 2414 ステファン・ロブグレン (SWE) 1982 4. メレーテ・モラー (DEN) 1113 マグヌス・ヴィスランデル (SWE) 1856 5. グリット・ユラック (GER) 1018 アンドレイ・ラヴロフ (RUS) 1619 6. ヴァレリー・ニコラ (FRA) 990 ジャクソン・リシャールソン (FRA) 1511 7. ベアタ・シチ (HUN) 787 ダニエル・シュテファン (GER) 1424 8. クリスティン・リンデマン (GER) 778 キュン・シン・ユン (KOR) 523 9. カースティ・グリニ (NOR) 643 ニコライ・ヤコブセン (DEN) 417 10. トリネ・ハルトヴィク (NOR) 515 ロランド・ウリオス (CUB) 287
得点は常にトップクラス アウスラ・フリドリカスはこの数年『世界の女子ハンドボールプレーヤー』選出の時期が来る度に、 もっとも頻繁に名前のあがっていた選手のうちの一人である。今回リトアニア生まれで33才、オース トリア国籍の彼女がとうとう1位になった。この結果に最も貢献したのはノルウェーの世界選手権に おける彼女のエネルギーにあふれたプレーである。準決勝では頭に負傷、血を流しながらコートから 運び出されたものの翌日の3位決定戦には痛みを残したまま復帰した。顔に大きな包帯を巻いていた が、彼女は決定的な力を発揮、オーストリアは辛勝して世界選手権初のメダルを獲得した。 右利きで身長は1m77cmしかないが特にマンツーマンに優れ、世界のバックコートプレーヤーとしては もう10年以上もベストの中に入っている。彼女はまた自分で試合を決めることの出来るハンドボール プレーヤーのうちの一人である。1試合における彼女のゴールが二桁に登ることは、たくましい“フ リドリカス一家”にとっては当たり前のことである。真中あるいは左から投げる彼女のパワフルなス ローはいつも彼女を得点ランキングの上位に置き、ごく最近のノルウェーでも、怪我のためかもしれ ないが最終的には得点ランキングのトップに2点だけ及ばなかった。けれどもこのオーストリア人は ボールのパスにも優れ、さらに中央のディフェンスの義務も果たしている。一言で言うなら − 真に 完璧なハンドボールプレーヤーである。 アウスラ・フリドリカス(既婚で息子一人)は1992年リトアニアからオーストリアへ移り、有名なク ラブ、ヒポ・ニーダーエスターライヒの最盛期を作り上げるのに一役買った。同クラブのユニフォー ムを来季も着るかどうかはまだはっきりしていない。ベケラゲツ・オスロがこの機敏な高得点プレー ヤーと契約を交わしたがっているが、そうするとこのウィーン・スドスタットのヨーロッパカップ常 連ヒポ・ニーダーエスターライヒが弱体化してしまうことは決定的である。 当然ながらナショナルチームはこの動きの影響は受けないだろう。現在まで彼女はオーストリアのた めに90試合近くに出場、約 640の得点があった。けれどもナショナルチームとしての大きな勝利はこ れからのことであろう − 次ぎの機会はシドニーオリンピックのトーナメントである。アウスラ・フ リドリカスにとっては初めてのオリンピックである。彼女がオーストラリアでも熱狂を巻き起こすの は間違いない? アウスラ・フリドリカス 最大の功績 ‐1990年世界選手権 (旧ソ連) ‐1999年世界選手権 銅メダル (オーストリア) ‐1996年ヨーロッパ選手権 銅メダル (オーストリア) ‐ヨーロッパカップを1988年エグル・ヴィリニュスで、1993、1994、1995、1998、2000年ヒポ・ニーダーエスターライヒで
繊細なテクニックをもったレフトウィング “1999年世界の男子ハンドボールプレーヤー”に選ばれることは、31才のラファエル・ギホーサにと っては素晴らしいシーズンのてっぺんにのせた、いわばクリームのようなものだった。FCバルセロナ のこの機敏な左サイドの彼は1999年の世界選手権ではその“オールスターチーム”に初めて選ばれた。 その8ヶ月後、クロアチアで開かれたヨーロッパカップで彼は同じ名誉を与えられた。そして故郷に さらに近づいて、彼は最近1999/2000年度スペインの最優秀選手にも選ばれた。 このようにナショナルチームと、通年チャンピオンリーグ勝者バルセロナ両方のレフトウィングの彼 は、繊細なテクニカルプレーヤーとして誰からも愛されている。強健な精神、スピード、広範なスロ ーのレパートリー、これらがこの身長1m82cmのプロの特質と考えられている。ギホーサが国際ハンド ボールのエリート達に加わったのはつい20代の終わりで、今や他の誰よりも得点の機会を逃さない選 手として考えられている。1999年エジプトの世界選手権では得点ランキング2位となり、成功率ほぼ 81%という彼の得点率はトップクラスでもある。 マドリッド生まれのギホーサはこのカタロニアのクラブのユニフォームを1995年から着ており、それ 以前はグァダラハラとユベトド・アルカスでプレーをしていた。1年後彼はナショナルチームにデビ ューし、オリンピックやヨーロッパ選手権でのメダル獲得に決定的にかかわることとなった。この間、 彼は国際試合90に出場し390の得点をした。 ギホーサには妻と3才の息子がいるが、彼の現在最高のフォームは、厳しいトレーニングと高いモー チベーションによるもの、と彼は言っている。けれども今年の“世界の男子ハンドボールプレーヤー” に選ばれたことは彼にとって驚きであった。「候補者として名前をあげられるだけでも私にとっては 大きな名誉だ。私はいつも個人的な名誉はあまり気にしないが、それが向こうから来るというのであ れば喜んで頂く。私に投票してくださった皆さん、ありがとう。」 ラファエル・ギホーサの最大の功績 ‐1996年アトランタオリンピック 銅メダル ‐1996、1998年EC 銀メダル ‐2000年EC 銅メダル ‐ヨーロッパカップ優勝 1996、1997、1998、1999、2000年バルセロナで <過去の世界のハンドボールプレーヤー> 男 子 女 子 1988 ベセリン・ブヨビッチ(YUG) スベトラナ・キチッチ (YUG) 1989 ジェイ・ウォン・カン(KOR) ヒュン・ミー・キム (KOR) 1990 マグヌス・ヴィスランデル(SWE) ヤスミザ・コラー (AUT) 1991‐1993 ケイン・ワール / 投票なし 1994 タラント・デュイシェバエフ(RUS) ミア・ヘルマンソン‐ヘグダール(SWE) 1995 ジャクソン・リシャールソン(FRA) エルゼベト・コスツィス (HUN) 1996 タラント・デュイシェバエフ(RUS) イム・オキョン (KOR) 1997 ステファン・ストックラン(FRA) アーニャ・アンデルセン (DEN) 1998 ダニエル・シュテファン(GER) トリネ・ハルトビク (NOR) 1999 ラファエル・ギホーサ(ESP) アウスラ・フリドリカス (AUT)