今世紀世界のハンドボールプレーヤー:シナイダ・トゥルチナ + マグヌス・ヴィスランデル 今世紀世界のハンドボールプレーヤー:シナイダ・トゥルチナ 今世紀世界のハンドボールプレーヤー:マグヌス・ヴィスランデル
“今世紀世界のハンドボールプレーヤー”2名は、簡単に言えば、いつでも最高であった。国際ハン ドボール連盟は20世紀最後の年半ばに至り、これら2名の優秀選手 ‐ シナイダ・トゥルチナ(Sinaida Turtschina)とマグヌス・ヴィスランデル(Magnus Wislander) ‐ の発表を喜んでいる。発表と表彰式は2000年6月17日(土)パリ・ベルシーで恒例のトーナメントの 後、IHFのエルヴィン・ランツ会長により行われた。 これ以上の専門家はいないというレベルの審査員会には、IHF全加盟連盟、IHF代表者及びスタ ッフ、スポーツ・ジャーナリスト多数、IHFパートナーなどが参加を呼びかけられた。最終選考で は数百人のエキスパートが、50年を超える世界ハンドボール史からどの男女選手を今世紀のパーソナ リティとして年鑑に載せるか、決定を下した。 スポーツにおいてはいつもそうなのだが、選ばれる権利のある選手は多数あったが、結局男女1名ず つをこの投票で選ばざるを得なかった。二つの異なる時代とスタイルを代表する、現在はウクライナ 人となっているシナイダ・トゥルチナと、スウェーデンのマグヌス・ヴィスランデルがわずかの差で 勝つ結果となった。 シナイダ・トゥルチナは70年代、80年代のソ連で多くの勝利を収め、長年世界列強を支配した東ヨー ロッパ時代を築いた。マグヌス・ヴィスランデルは90年代以降長く記憶にとどまるであろうパーソナ リティで、国際ハンドボール界の第2のパワーセンター、スカンジナビアを代表する選手である。 両選手とも、何年にもわたりチームに最高の結果を残し、スウェーデンの場合は今日でも多くの刺激 となっている。“今世紀世界のハンドボールプレーヤー”を最も際立たせているのは、彼らがレベル の高いプレーを常に、長期間にわたってしたことである。 デンマークのスーパースター、アーニャ・アンデルセンに対するトゥルチナの優位は比較的楽なもの だった。また1992年のオリンピックチャンピオンで、1995年世界選手権者の韓国イム・オキョン(林 五卿)はトップランキングの中で唯一の非ヨーロッパ人だが、彼女との間の差は大きなものだった。 イムはこの投票で、アジアハンドボールの台頭を表すことにもなった。その他、特に名前の挙がって いた女子選手はスベトラナ・キティッチ(ユーゴスラビア)、ヤスナ・コラル‐メルダン(ユーゴス ラビア/オーストリア)とバルトラウド・クレツマー(東ドイツ)であった。 男子の投票では、ヴィスランデルとタラント・デュィシェバエフ(ソ連/ロシア/スペイン)との差は 僅かだった。ロシアの伝説的ゴールキーパーで、オリンピックで2度、世界選手権で2度それぞれ優 勝したアンドレイ・ラブロフは未だに最も成功をおさめたハンドボール選手だが、上位2名と接戦の 上、3位となった。彼らに続いたのはルーマニアのサウスポー、ゲオルゲ・グルィア、フランスのデ ィフェンスの策士ジャクソン・リシャールソン、ユーゴスラビアのプレーメーカー、ベセリン・ブヨ ビッチ、ハンガリーでは伝説となっているピーター・コバッチとルーマニア黄金時代のステファン・ ビルタランらである。 <結 果> 女 子 1. シナイダ・トゥルチナ(ソ連/ウクライナ) 32.9% 2. アーニャ・アンデルセン(デンマーク) 29.2% 3. イム・オキョン(韓 国) 10.5% 男 子 1. マグヌス・ヴィスランデル (スウェーデン) 20.4% 2. タラント・デュイシェバエフ (ソ連/スペイン) 18.7% 3. アンドレイ・ラブロフ (ソ連/ロシア) 17.0%
シナイダ・トゥルチナ: ボールを持ったマジシャンの比類なき成功物語 13年前、国際ハンドボールのステージに最後の一礼をした後も、シナイダ・トゥルチナは依然としてハ ンドボールに親しく関わっている。彼女は自分を世界レベルの選手に育ててくれたクラブを統括しなが ら、再び以前の成功へとクラブを導こうとしている。そのクラブ、スパルタク・キエフはヨーロッパ選 手権カップを計13回取り、長年卓越したソビエト女子ナショナルチームの中軸であった。 オリンピック優勝2回(1976/1980)、世界選手権2回(1982/1986)、世界選手権銀メダル2回(1975 /1978)、そしてヨーロッパカップ優勝通算11回。54才の彼女のこれら栄光の個人記録は、女子ハンド ボール界において肩を並べるものはいない。彼女は1988年ソウルオリンピックの銅メダルを最後として、 国際舞台から引退するまで 300以上の試合にナショナルチームのメンバーとして出場した。 シナイダ・トゥルチナはハンドボールプレーヤーとしては時代の申し子のような選手だった。早いカウ ンター・アタックに良く目が利くディフェンスのリーダーであり、センスの良い巧妙なパス回しをする プレーメーカーであり、またスローのレパートリーは膨大だった。彼女はこれら全てを軽やかに、リラ ックスしてエレガントにこなした ‐ ソビエトの力のハンドボールの中で、ボールを持ったマジシャ ンといわれる所以である。専門家たちは彼女のカリスマ性と、コート内外での人柄を今日でも賞賛して いる。 シナイダを語る時、イゴル・トゥルチンのことも述べずにおくことは出来ない。彼はシナイダのコーチ であり、夫であったが1994年死亡した。彼はキエフの学校でこの才能豊かな若い選手を見つけ、彼のス パルタク・ドリームチームの中心としで徐々に育て、彼女に全てを預けた。20年以上にわたトゥルチン 夫妻はハンドボールの成功を常に支配した。彼らの娘ナタシャも大変優れたハンドボール選手になった。 選手としてのキャリアを終えたシナイダ・トゥルチナは会長の地位につく前は、しばらくスパルタクと ウクライナ・ナショナルチームのコーチを務めていた。
マグヌス・ヴィスランデル: オリンピックに野望を持った万能派 マグヌス・ヴィスランデルの両親は何が起きつつあるのか、うすうす感じていたに違いない。なぜなら マグヌスという名前は単純ながら適切にも“偉大な者”と言う意味だからだ。身長 194cmのこのスウェ ーデン人がハンドボール界の巨星たちの仲間にに文句無しに加わるわけではない。グーテボルグでポス トとして訓練を受けた彼の偉大な点は、スポーツにおける業績、その成功、そして公の場面で見せる親 しみやすさである。 ヴィスランデルは現在のハンドボールでは万能選手である。彼は以前プレーメーカーであることが多か ったが、現在はむしろポストであり、時にはプレーメークをするポストであり、時にはディフェンスの 仕事を組立てたりもする。彼はこれらのポジション全てに15年にわたり成績を残し、多くのトップクラ スのシューターとは対照的に、試合60分のほとんどをコートに出ている。さらに熱意、努力、ライフス タイルにおいてはハンドボールのプロのモデルとして考えられている。 スウェーデンが最近獲得したタイトルやメダルについては36才の彼が密接に関わっており、彼は1986年 スイスの世界選手権でのデビュー以来(4位)、世界選手権に6回出場、金メダル2個(1990/1999)、 銀メダル1個(1997)、銅メダル2個(1993/1995)を得ている。1994、1998、2000年にはヨーロッパ チャンピオンになった。また1990年には“今年の世界のハンドボールプレーヤー”に選ばれており、 310 の国際試合でプレーし 900以上の得点を挙げている。 父親でありゴルフ愛好家である彼が逃しているものが2つある。それはオリンピックの金メダルとヨー ロッパのチャンピオンリーグである。オリンピックで銀メダルを2回(1992/1996)取り、ヴィスラン デルはシドニーオリンピックの金メダルで自分の素晴らしい国際キャリアを飾リ、そして終えたいと考 えているようだ。彼はドイツ・ブンデスリーガのクラブ、キールでこの10年プレーをしているが最近ナ ショナル選手権を獲得、従ってチャンピオンリーグでの優勝の夢は見続けることができる。