なぜ構造改革なのか
日本にハンドボールが導入されたのは約80年前のことである。競技スポーツとして発展の兆しを見せ始めたのは、1936年ベルリンオリンピックで始めてハンドボールが行われ、次に行われる予定であった東京オリンピックでもハンドボールが行われるはずであった。しかし、戦争のために大会は返上されたが、オリンピック参加を契機として、昭和13年に日本ハンドボール協会が設立され、またナショナルチームが結成されるなど将来に向けたハンドボール発展の土台が形成された。戦後は国際ハンドボール連盟にアジアでいち早く加盟し、日本は競技力、普及ともにアジアのハンドボール先進国として自負していたところである。
しかし近年、国際競技力の面では、韓国の著しい競技力の向上や中東勢の台頭等もあってオリンピック大会においては男子はソウル、女子はモントリオール以来その道を断たれ、低迷を余儀なくされている。それに加えて、トップの競技力を支えてきた日本リーグチームが経済的な問題だけでなく、スポーツに対する考え方の変化もあって、廃部や休部している事態も発生している。
国際競技大会の日本開催は、競技力の向上のみならず普及の面でも多くのメリットがある。1991年には日本初の国際ハンドボール競技会であるアジア選手権大会を開催し、1997年にはアジアの男子では初めての世界選手権大会を熊本で開催している。日本ナショナルチームは決勝リーグでフランスと大接戦を演じ、また観衆も延べ20万人を記録し大成功を収めた。世界選手権大会は4年から2年周期となり、種別もシニアだけでなく、ジュニア(平成17年より、新たにU−19(女子は18)のカテゴリーが追加される)、ビーチハンドボールもあり、予選大会の開催や参加にも費用がかかり、その負担は大きいものになってきている。
普及の面では、少子高齢化、嗜好の多様化による若者のスポーツ離れ、また教員採用の減少による指導者不足などから、登録人口は減少の一途をたどり、数年前の登録人口の50%近く減少した県もあるほどである。ハンドボールだけでなく、スポーツ界は激動の時代を迎えているのが現状である。その対策として、オリンピックプロジェクト、J−3000プロジェクト(小学生を中心としたクラブチームを各市町村に3000チーム作るプロジェクト)、ナショナルトレーニングシステム(NTS)、がんばれハンドボール10万人会、マーケティング委員会等を立ち上げて逆風に負けないハンドボール界を構築しようとしている。
以上のように、日本ハンドボール協会の二本柱である競技力と普及で停滞・後退を余儀なくされている。原因は様々なものが考えられるが、日本協会は世界や日本社会の変動の流れを受けてそれを乗り越える改革を成し遂げなければならない。平成13年より、プロジェクト21を立ち上げ、構造改革をテーマに、21世紀にハンドボールが羽ばたけるよう、その計画を順次策定している。長期にわたってハンドボール協会がシステムをつくり事業を行ってきたのであるが、今一度原点に振り返って、21世紀に耐えるハンドボール振興プログラムを多くの方々の英知を結集して作らなければならないところである。