日本協会編「ハンドボール」は1960年6月に創刊され、今月号で500号になります。半世
紀に渡る中では、多少の粁余曲折はありましたが、多くの関係各位に支えられ、ハンドボ
ールの理念と魅力を模索しながら、普及発展に多大な貢献をして参りました。その長きに
渡る貴重な記録を保存したことは、日本協会の大きな財産であり、機関誌の役割の重さを、
いま改めて確認した次第でございます。
この誌は定期的に、しかも正確に掲載し、その手作りの充実さは、発刊当初から、並み
居る(財)日本体育協会の中でも高く評価されていたと聞き及んでおります。折りしも、
1960年代は、経済成長にも加速され、日本スポーツ界も挙って世界を目標に強化体制を整
え始めた時代でした。時を同じくしてハンドボール界も、他競技に遅ればせながら、次々
と実業団チームが創設され、今日の日本リーグの基盤を創りあげたのです。
このように機関誌は、ハンドボールの発展と並行しながら、大いなる夢を載せて発刊し
続けたのです。創刊号の式場会長の巻頭言は、発展をこよなく願い、理想を探求する文中
で、特に印象的だった下りは「日本のハンド界とプレーヤーに望みたいのは、妙な劣等感
を無くすべきだ。新興スポーツだと云うことと、あまり人口に謄爽(かいしや)されてい
ないと云うことでプレーヤー自身がハンドをしていることに遠慮勝ちだったが、このよう
な考えは、根底から取り去らねばいけない」と掲載されています。非常に意味深い文章の
一部分ですが、50年を迎えた今日人の認識は多種多様で、感想は必ずしも一致するもので
はないと考えます。それらを総体的にみますと強化面では、やや停滞してはいるが、過去
4回のオリンピック出場の実績と競技人口等に於いては、大きな躍進を遂げて参りました。
従ってハンドボールと真剣に取り組んできた多くの関係者は、そのことについては、遠い
過去に自然淘汰されているものと思います。創刊より長期間、纏めて下さった担当者は、
杉山(慶大OB)、藤本(東大OB)の両氏で、流石に執筆、編集に優れ、記事も多彩でした。
何度読み返しても時の過ぎるのを忘れるほど懐かしく、多くの先達の熱い思いに引き込ま
れ、不思議な雰囲気を醸し出してくれます。その様に活字が人に与える影響は大きく、時
には、尊敬してやまない恩師や先輩の叱喀激励より、ある文中で出会う言葉は、人の心を
動かしモチベーションを高めてくれる要因にもなります。だが、読者に感動すら与え続け
たこの誌に、転機が訪れます。それは両氏が、本務多忙のため退陣なされ、その後、全く
の素人集団で編集にあたり、大変な苦労が続きました。
私もある時期、その渦中に居りましたが、発行が順次遅れる始末でした。そこで仕方な
く、編集はプロの手に委ねることにして、何とかその難を逃れることが出来たのです。そ
れから編集も次の世代の人々に移り、ハンドボールに精通し、博学多才な人達によって次
次と繋ぎ続けられ、500号という偉業を成し遂げたのです。編集に携わった多くの委員と、
陰で支えて下さった全国の関係各位に敬意を表しますと共に、今後さらなる内容充実を図
り、読者にハンドボールの魅力を伝承し続けて欲しいものと願っております。
さて、今後の日本ハンドボール界に熱望することは、オリンピック出場であります。ソ
ウル五輪後の日本ハンドボール界は、完全に韓国に牛耳られた感がします。それは実業団の
あるチームが導入し、勝利を優先することと普及発展、競技力向上を兼ねての趣旨であっ
たと推測しますが、強化、特に対韓国戦に於いては、負の面もあった様に思われます。今
後は、対韓国戦法のみではなく、焦点は、世界の強豪チームに対策を変更していかなけれ
ばなりません。他のアジアの国々の強化も著しく高まり、それらを眼中に捕らえながら、
万全な強化体制を構築し、1日も早く実行すべきと考えます。いま再び、2016年のオリン
ピックを東京で開催すべく招致活動の真っ最中ですが、実現することになれば願ってもな
い機会が到来します。この好機を掴むために総力を結集し、前哨戦ともなるロンドン五輪
には、何が何でも出場し、そして東京でメダルを、あるいは、それに手の届く順位を確実
にすることが必要になります。それが実現すれば、漸く曰本スポーツ界の人気種目の仲間
入りを果たせるのです。そのためには、ハンドボール関係者が、一致団結して、立ち向か
うための施策を積極的に進められるよう、(財)日本協会は力強いメッセージを全国に発
信する必要があると考えます。
(財)日本ハンドボール協会機関誌「ハンドボール」2009年5月号より転載
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