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2017-06-11

日本ハンドボール協会 水野裕矢 事業プロデューサーインタビュー




 水野裕矢が、2017年4月1日付けで「事業プロデューサー」に就任しました。
インタビューと経歴をご紹介いたします。




Q1:改めて、就任した「事業プロデューサー」とはどんな仕事ですか?
 国際大会運営、企画プロデュース、広報、マーケティング、マーチャンダイジングの仕事を統括する役職です。今まで協会にはそれらを担うポジションがなく、他の仕事を兼務しながら掛け持ちでやっていました。


Q2:琉球コラソンとの関係は?
 2008年に日本ハンドボールリーグに参戦するクラブチームが沖縄にできるということで現監督水野裕紀と二人で山梨から挑戦しに沖縄に渡りました。
 そして、2年目にコラソンのキャプテンになりましたが、クラブが経営破綻。
 再生のためにリーグ機構より使命を受けGM就任。3年間で立て直すことを約束しそれが叶い、5年目からは運営会社のCEOに就任しました。
 2015−16シーズンではプレーオフにも出場できたので、そこで私はユニフォームを脱ぎました。
 現役を引退してからは、選手時代ではできなかった、「海外事業」や「県の事業」、上ばかりではなく地固めとして「スクール活動」の倍増、「大人、初心者向けのハンドボール事業」も作りました。


Q3:2020年に向けての抱負
 2020年ハンドボールは男女ともに開催地としての参加が決定しています。日本協会は、オリンピックに向けて、強化を進めています。
 まず代表のヘッドコーチを世界NO.1といっても過言ではない二人を招集しました。必ず成果を上げてくれるでしょう。
 そのためには母体である日本協会が磐石ではなくてはいけません。それを叶えるために、私は琉球コラソンのGMを退任して東京に来ました。
 中央が変わらないと何も変わらない。遠く沖縄でたったひとつのクラブチームで私たちは5年連続観客動員1位になり、1試合動員としては初の3000名越えも達成しました。
 そもそもオリンピックに出場して、何が成功?!メダル獲得?!満員の観客?!
 僕は、これ以外での成功もあると思っています。それはオリンピックが終わってから、ハンドボールをやっている人、やって来た人の環境が変わる事!! 
 オリンピックは、ゴールではなくとても大きなターニングポイントです。


 ハンドボールのトップスポーツ化
 私は宮崎大輔と同世代ですが、彼のように選手として世の中に影響を与えるまでできませんでした。しかし選手ではなくても、ハンドボールを広める事や伝える事ができることを、僕は自分にしかできない仕事として証明してゆきます。
 この1週間だけでも協会内で行ったプレゼンテーションで、「そういう話を聞きたかった!」「今までと変わる!」「聞いていてワクワクする」と言って頂きました。
 ハンドボールファンの皆さんも必ず僕らのファミリアにしてみせます。
 皆さんの応援に応えていきます。コラソンで作った小さなファミリア‼︎
 これから全国に沢山のファミリアができる様に!



水野裕矢 1980年7月9日生まれ(35歳)山梨県塩山市出身

【経 歴】
 ・塩山ハンドボール→塩山中→駿台甲府高→明治大→甲府クラブ→HC東京→
  琉球コラソン第一期生として入団。2年目よりキャプテンを務め兄貴の愛称で
 ・株式会社琉球コラソン代表取締役CEO、琉球コラソンハンドボールチームGM
1998年度 国民体育大会3位
2001年度 インカレベスト8
2005年度 地元甲府クラブよりHC東京へ(当時日本リーグ2部)へ移籍。
       新人賞獲得
2007年度 琉球コラソン入団
2009年度 GM就任 選手兼GM
2011年度 株式会社琉球コラソン代表取締役CEO就任
2011年度 日本トップリーグ連携機構優秀クラブチーム賞、
       優秀マネージメント賞受賞
2014年度 チーム初のプレーオフ進出 同年引退。